香水のルーツは、古代の宗教儀式などで用いられたお香。フランス語で香水のことを、パルファン(=Parfum)と言いますが、こちらの語源はPer Fumum(煙で)というコトバなんです。

アルコールという物質が発見され、香りをこのアルコールに閉じ込め保存する、という画期的方法を編み出し、それが商品化されるようになったのが10世紀頃のこと。香水文化の始まりです。

香りを直接シュッシュッと吹きかけて使えるという手軽さが受け、西洋ではその頃から香水が親しまれてきましたが、日本では、衣類、部屋などに「香を焚きつけて使う」のが長いこと主流でした。

瓶に入った香水が広まるようになったのは、明治時代に入ってから、ごく最近のことなんです。

今も雑貨屋さんやヒーリングショップなどでは「インセンス」という名称のお香が焚かれていることが多いですが、「香りを纏う」という意味では断然香水をつかいますよね。

日本の“香”についての歴史は古く、中国伝搬の貴重な「香木」(香りのよい木)を国が大切に保管する場所として、香りの専門機関「御香所(ごこうしょ)」がつくられ、そこでは宗教儀式、政治儀式を執り行う際に欠かせない“香”の研究が日夜真剣になされていました。

この日夜たゆみない“香”の研究こそ、後世でいうところの“香道”の礎となりました。室町時代には“香道”についてのルール、マナーがしっかり確立されていたと言います。

室内や着物に香を焚きしめるのは主に女性たち、あるいは、女性的な、と言ってしまったら語弊があるかもしれないのですが、雅(みやび)な趣味を好む貴族や、貴族の暮らしぶりに憧れる一部の武士(戦や猛々しいことを好まない)たちのイメージがあるかもしれません。

しかし、戦国時代の猛々しい有名な武将たちも“香”に夢中になっていたようですよ。

正倉院に納められた、「黄熟香」という貴重な香木を、織田信長が東大寺に攻め入った際、強引に切り取って持ち帰ったというのは有名な話。

戦国時代の名武将たちはみなお気に入りの“香”を持っていたようです。戦の際、「万が一敵方に討ち取られるようなことがあっても恥ずかしくないように」、と衣服に香を焚きつけてから出陣する武将も大勢いました。

単に、好みの匂いの香を焚きつけるのではなく、いくつかの匂いを組み合わせて調香し、その香りの正体を当てる。という“香道”の中の“組香”は、理数的な要素も高い、いわば頭脳ゲーム。

女性ももちろんたしなみますが、勝ち負けにこだわり、ゲームに白熱してしまうのは、むしろ男性の方だったのえはないでしょうか。

“香道”のルールでは、「優劣を競うものではなく、風流を愉しむ」ことがよし、とされていますが、実際の現場は闘志の白い炎がメラメラと燃え上がる場所だったに違いありません。

西洋の香水分類は18種類とお伝えしましたが、この“香道”における香りの種類は、元となる香木の香質(フレグランスノートに相当する部分)を味覚に例えて、辛(シン)、甘(カン)、酸(サン)、鹹(カン=塩辛い)、苦(ク)と5種類に分類し、「五味(ごみ)」と呼んでいます。

また、その香木に含まれる樹脂の質、量の相違性から、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真那伽(まなか)、真南蛮(まなばん)、佐曾羅(さそら)、寸聞多羅(すもんたら)の6種類に分類したものを「六国(りっこく)」と呼び、それらを併せて「六国五味」と言います。

無数の香りの組み合わせが生まれることはご理解頂けると思います。

権力と頭脳、風流を誇った貴族や武士たちが夢中になったことは想像に難くないですよね。